脱成長の電脳1

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劇場版響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~ 感想・レビュー

「劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」を公開初日(4/19)に観てきましたので、ひとまず暫定的に雑多な感想を書き残しておこうと思います。今のところあまりまとまった話にはなっていませんが率直に思ったことを書いておきます。

なおネタバレには配慮してませんのでご注意ください。

 

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入場特典は「くみれい」で"Happy Ice Cream" 一番欲しい絵柄を引いた.

 

・冒頭の久美子が塚本に告白されるシーンで、リズと青い鳥に脳細胞を焼かれたショックから立ち直れていない筆者は「異性愛!?そっちか!?」となりいきなりびっくりして椅子から転げ落ちそうになった。

 

もっと長尺で見たかった気はする

・観終わって第一の率直な感想としては、これTVシリーズ3期としてやった方が良かったんじゃないかな、ということだった。もっと長尺で見たかった。

TVシリーズにおける響けユーフォニアムは久美子視点で語られる群像劇だった。吹奏楽部内で様々な問題が起こり、それに対して久美子以外にも多くの人物が苦悩し乗り越えてゆく姿を少しずつだが着実に、丁寧に描いてきた作品だったと思う。例えばTVシリーズ2期における部内の「問題」とは「笠木希美・鎧塚みぞれ問題①」と「田中あすか問題」の2つだった。今回の劇場版では「鈴木美玲問題」そして「久石奏問題」がそれにあたるだろうか。

・だからこそ響けユーフォニアムの合奏シーンはあれほどに美しい。それぞれバラバラな青春の色を持った彼ら部員たちがひとつの曲を奏でるまでの並大抵でない努力と葛藤を観客は見て知っているからだ。

・2つの「問題」に久美子が対処しようとするシーンはセリフ回しと演技の秀逸さが光るかなり印象的なシーンに仕上がっていた。しかしそこに至るまでのプロセスの丁寧さや関係するキャラクターの心情を細やかに描けていたかどうかという点では、時間をかけて描写することができただろうTVシリーズの時よりも雑になってしまったと思う。そのためかクライマックスの関西大会での演奏シーンにはあまり気持ちが乗ってこなかった。単純に群像劇として見えているドラマの総量が少ないので感情移入できないというパターン。

・TV版ユーフォの演奏シーンは画面の切り取り方が非常に巧みで、それだけでキャラクターの感情やそこに至るまでに積み上げてきた思いを伝えてくるカットの数々が大好きだったが、本作クライマックスの演奏シーンではそこがややとっ散らかった印象を受けた。特に劇中でピックアップされていた久美子・奏や久美子・秀一のラインさらには美鈴や夏紀にはもっとカメラが向けられるべきだった気がする。突然入るCGも若干異質感があった。ただし、楽曲「リズと青い鳥」について技術的なことは分からないので筆者が無知なために勝手に違和感を覚えているのかもしれない。あるいは全国大会出場を逃したあと一歩の不調和を伝えるためのものと考えることもできる。

・以上は筆者が「ユーフォはこういう作品だ」というイメージと過大な期待をもって劇場に行った結果思ったほどでもなかったという話なので一般的な作品の評価とは関連性がない可能性も高い。もし観ていない人がこの文章を読んでいたならまずはともかく観てほしい、見どころは間違いなくあります。

 

先輩になるということ

・新しく部にやってきた一年生と久美子たちがどう打ち解けてゆくか、という話はかなりリアリティがあって面白かった。響けユーフォニアムは久美子視点で語られる物語であるため一年生組は最初は奏をはじめ自分勝手さが目につくような描かれ方をされている。得てして直属の上司部下になる一年生と二年生は仲悪くて三年は余裕があるから一年が二年よりも三年になついたりとかはよくあるよね。それでも高圧的な態度はとりたくない久美子は面倒くさい人間関係に精神を消耗して駅のホームでハーッとうなだれる。上下関係は難しい。

・そんな中で本心が読めない奏を見て思い出したのが久美子が一年生の時に田中あすかから投げられた言葉だった。当時はあすか先輩怖っ…という感じで受け止めていただろうその言葉が先輩としての立場になった今では自分が後輩の奏に対して投げつけたい言葉にすり替わっている。久美子のあすかへの思いはこの時おそらく単なる憧れからより深い理解へと変わる。TVシリーズ時の久美子の、「特別」になるためとして肯定してきた一年生らしからぬ悪行の数々(?)が相対化されてゆくのはかなり笑えた。

・そんな気づきが久美子の人間としての独り立ちを促したのだろう。一年生の時は麗奈に引力で引っ張られていただけの印象もあった久美子が自分の言葉で、努力した先に何もないなんてことは考えない、努力は無駄にはならないと奏の前で言い切れるまでになる。また奏者としても、ユーフォニアムのエースとしてあすかの後を継いで滝先生からも認められる存在にまで上り詰める成長を見せた。

・そう考えるとあすか先輩と半年振りくらいに再会するシーンはかなり大事だった気がするがあのひまわり畑が描かれた絵葉書みたいなのは何だったんだろう。あすかの後ろにのぞみぞれの二人が居たことに何らかの意図を感じてあんまり会話を聞いてなかったかもしれない。あとオーディションの件で奏に突っかかって以降の夏紀先輩の描写が少ないことも気になる。

・二年生組で一番後輩との関係でギクシャクしていそうなのは高坂麗奈なのでそのあたりの話も見てみたかった。トランペットでは反目しあう麗奈と一年生とそれをなだめる吉川優子みたいな構図があったかもしれない。

・いかにも訳ありという感じで登場した一年生の月永求についてはっきり謎が明かされないまま終わってしまったという事実は本作の尺不足感を如実に表していると思う。「源ちゃん先生」が彼の父親で、それに反抗心を抱いて北宇治にやってきたというところまで合っているとして(それ以外に推測するための材料がない)、父親が顧問の高校に目の前で全国大会への切符をかっ攫われるわけだが、その時の彼の気持ちやいかに。結局久美子も川島に任せておけばいい求には大して興味がなかったということなのだろうか。

 

麗奈と秀一

・恐らく久美子の成長は麗奈との関係の変化とも関わっている。1期の大吉山のシーンをはじめ全体的に百合っぽい雰囲気でやってきたユーフォだったがプロローグに秀一とのシーンを入れてきたのは明確な意図を感じる。序盤こそ美玲に距離近くないですかと聞かれるなど親密さを見せる久美子と麗奈だったが、後半の縣祭りのシーンではまた二人で大吉山の山頂まで来たにも関わらず麗奈がトランペットを吹く横で久美子は秀一へのメッセージを打っていたり、プールに来てお揃いの白黒の水着で並んで話していてもどことなく倦怠感が漂っていたりする。

・そうはいっても久美子としてはまだ麗奈や葉月、川島らと一緒にいた方が気楽で、塚本君とはまだ自然体というわけにはいかないのだろう。最後には彼からの告白をきっぱり断っている。それでも部を引退した後まだその気があるならその時には改めて彼を受け入れてもいい、と秀一に告げる。TVシリーズではあまり見せ場のなかった秀一にしてみれば大きな進歩だ。

・2期の田中あすかとの交流を経て上級生となり、自分だけの「吹く理由」を確固たるものにした久美子にとってはもはや麗奈という存在が唯一の指針ではなくなったのは大きいだろう。そして麗奈と入れ替わりに秀一が久美子のパートナーとして急浮上してくるのはなぜか。恐らくそれは途中でてきた卒業後の「将来」の話題ともリンクしている。音楽学校に行きたい、滝先生を振り向かせたいと常に遠くのものに手を伸ばし続ける麗奈に対して秀一が提示する恋愛関係は、2年生となり将来を考える必要を迫られつつある久美子にとってより確かで現実味のあるものだと感じられるのかもしれない(もちろん彼らが結婚して家庭をもって~とかそんなことまで現実味をもって考えているとは思わないが、あくまで方向性として)。

・一年生の頃の久美子が麗奈とともに戦ってきた相手は、トランペットソロのオーディションの時がそうだったように、「部全体の空気」とでもいうべきものだった。しかし二年生となった今の久美子は少なくとも一年生から見れば「部全体」の側の人間なのである。それどころか一年生の世話係まで任せられてしまった彼女は、彼女自身は個人を尊重したいと思っていたとしても、「部全体」の代行者として振る舞い一年生を集団としてまとめ上げることが求められている。だから久美子は部の空気を作ることはできても反抗することはできないし、もはやそれを選ぼうとはしない。大人になった、という言い方をしてもいい。だが一方の麗奈は引き続き滝先生を射止めるという明らかに部の調和を乱しかねない目標に向かって反抗し続けなければならない。久美子の心が麗奈から離れてゆくのはそうした理由もあるのだろう。

・こうした変化は進級するということの意味、つまり①後輩の面倒をみるようになる②将来のことを考えざるを得なくなる という大きな変化によって引き起こされるもので、この辺りも千変万化する青春のリアルを感じられて良かった。塚本君自身についても後輩の面倒を見るようになり男を上げた結果としてTV版では散々アプローチしてもだめだった久美子からの評価が高まったのかもしれない点も指摘しておくべきだろう。

 

リズと青い鳥」と久美子

・帰り際に観客のひとりが「のぞみぞれで負けたのが悔しいなあ」と言っていたのが印象的だった。リズと青い鳥に精神を破壊された傷が癒えていない筆者としても同感である。コンクールは時系列的にリズと青い鳥のラストシーンより後の出来事なので、夕焼け空の下で希美とみぞれが誓い合った本番の成功は完全な形では果たされなかったということになる。確かに悲しい。

・個人的に本作で一番無念なのは、そもそも希美とみぞれの心情についてほとんど何も描かれていないことである。ついついこの2人が画面のどこにいるか探しながら観てしまったが、ほとんどその他部員と同じ扱いでセリフもない。唯一の見せ場はラストの演奏シーンで、第三楽章の二人のソロパートではアップで描かれていた。ちなみに演奏シーンで一番作画が良かったカットは恐らくみぞれのソロパートだった。そこはスタッフの愛を唯一感じられて嬉しかったが…

・そうなった理由自体は理解できる。のぞみぞれの関係についてはリズと青い鳥でむせ返るくらい濃厚にやっているので映画の2時間の尺に収めようとするなら真っ先に削るべき箇所として挙げられるのもやむを得ない。またリズと青い鳥という作品は結末のない未完成の物語であり、今回その続きを描くとなるとあえて残された余白を狭めてしまうことにもなりかねない。

・そしてユーフォ本編はあくまで久美子視点の物語であることを忘れてはならない。TVシリーズ2期でみぞれがヒステリーを起こした時のことを思い出してほしい。みぞれの「希美のために吹いている」という言葉を聞いた時の久美子の感想は「そんな理由で吹く人がいるとは思わなかった」だった。希美の「みぞれのオーボエが好き」という言葉でみぞれは希美を受け入れ一応事は収まり、次の曲が始まるのです…という展開に初見で首を傾げた人は多いのではないだろうか。事実、リズと青い鳥ではあのやり取りを経ても二人の間に容易には埋まらない大きな溝がなおも残されていたことが明らかになる。

・つまり、基本的に久美子は希美とみぞれの関係をほとんど理解していない。何ならパートも違うので彼女らについてさほど興味もない。部員が43人いるような大所帯ではそういったモザイク状の認識になるのもやむを得ないだろう。筆者としてはそう解釈しているので、久美子視点で語られるユーフォ本編でのぞみぞれの登場頻度が少ないのも仕方ないのかな、と理解はできる。だが二人にとって大きな「別れ」を意味しただろうコンクール結果発表後のシーンでせめて一言、いや1カット表情のアップでもあったならもう少し晴れ晴れと劇場を出てこられたかもしれないとも思う。

リズと青い鳥で起きた事件が、希美・みぞれ以外の部員たちにどう映っていたのかはとても興味があったし、のぞみぞれ2人の世界の外側からみた周辺のドラマには正直期待していた。もう少し客観的に考えてみても、明らかに重要な立ち位置にいる希美とみぞれというキャラクターがセリフのひとつもないというのは徹底しすぎていて、不自然に見えても仕方ないのではないか。楽曲「リズと青い鳥」の核心部分を担う2人に新しい物語が何も用意されていないのでは、クライマックスの演奏シーンが盛り上がらないのも当然ともいえる。

・これは余談だが、筆者は久美子と希美は本質的には似通った人物だと思っている。敵を作らず立ち回る器用さとほどほどの頑固さ、そして「特別」でありたいという思い。久美子が2期序盤で部に復帰したい希美を助けようとするのは希美に自身や姉の面影を見るからだと思っている。しかしみぞれという人物については全く想像の埒外なのだろう。ゆえにユーフォ本編のみぞれは基本的にいつも無表情である。久美子≒希美だとすると、この二人に「特別」なあり方を教えたのはそれぞれ麗奈とみぞれということになる。だからリズと青い鳥で久美子と麗奈が希美とみぞれのパートを勝手に吹いて夏紀にペアとして対比されるシーンは改めて味わい深い。味わい深くありません?そしてみぞれに希美を手放すよう促したのが麗奈だったことの意味とは?傘木も鎧塚のような湿度の高い女と絡まずせめて高坂のようなカラッとした女とつるんでいればあんなに悩む必要はなく気楽にEDで「tutti!」とかを歌えていたかもしれないわけじゃないですか(?)。鎧塚さんの悪口ではないんですけども。筆者にとってリズと青い鳥という作品がいかに衝撃的でいかに多くの文脈を書き換えてしまったかというのを改めて自覚したというのはある。

 

touseiryu.hatenablog.com

 ↑ 以前書いたリズと青い鳥についてのレビューもありますので併せてどうぞ。