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リズと青い鳥 part 1/4 視点と配役の逆転+初鑑賞記

以前書いた映画『リズと青い鳥』についての文章(感想・考察)です。長いので4分割して載せます。

 

はじめに:『リズと青い鳥』鑑賞記

 本作『リズと青い鳥』を映画館に観に行ったときは友人(以下オタクと呼称)と一緒だった。興味ないと言っていたのを無理やり引っ張ってきたせいかオタクは途中で寝ていたが、筆者のほうは何度か息を呑み、涙し、濃厚な感情表現にすっかり心をかき乱されて劇場のシートに沈んでいた。帰り道、駅から自転車で帰るつもりだったが、オタクは歩いて帰るというので自転車を押して二人で歩いた。歩きながら一方的に映画の感想を浴びせかけていたその瞬間、筆者の脳内に電撃的に閃きが舞い降りる―これって”のぞみぞれ[1]”じゃね? 何故オタクとの下世話なやりとりを、先ほどまであれほど感動して見ていた美少女どうしの関係性でなぞらえなくてはならないのか。とても気持ち悪くて口に出せたものではない。しかし、これこそがこの作品の持つ普遍性そのものであるのだった―と気づいた時には何もかも置き去りにして夜の街をチャリンコで疾走していた……というような話を今からしていきます(?)。

 

 本稿で目指すのは映画『リズと青い鳥』における非言語化された文脈を自分なりに解釈して言語化し、作品の根底に流れるテーマを余さず解き明かすことです。ただし、筆者も劇場で何度か観ただけなので大して網羅的な、系統的な議論はできないと思います。自分用に考えを整理するためのメモに毛が生えた程度の文章と考えてもらいたいです。あと、まだ観ていない方もこれを読んで本作に興味を持ってもらえたら嬉しく思います[2]。なおネタバレについては配慮していません。

 

作品紹介

 『リズと青い鳥』は今年の4月に公開された劇場アニメーション作品である。高校の吹奏楽部を舞台とした原作の小説『響け!ユーフォニアム』は既にTVシリーズとして2度アニメ化されているが、本作はTV版と同じ京都アニメーションの制作によるスピンオフ作品となる。ただし、タイトルも含め宣伝などで『響け!ユーフォニアム』の名前はほとんど使われておらず、キャラクターデザインも一新され、設定のみを受け継いだ新作のような位置づけがなされていることが特徴といえる。TV版の主人公・黄前久美子の一つ先輩でオーボエの「鎧塚みぞれ」とフルートの「傘木希美」の二人を主人公とした物語である。

 

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冒頭シーンから

 まず冒頭、みぞれと希美が二人で朝練をするシーンから既に圧巻だった。何かを待っている物憂げなみぞれ。そこに小気味よい足取りで希美が歩いてくる。みぞれが希美の姿を認めた瞬間に周囲の世界は彩度を増し、鳥たちの奏でる旋律が美しく響きはじめる。いくつか言葉を交わしながらみぞれはのぞみの後ろをついて歩いてゆく。みぞれの視線は惑いながらもポニーテールの揺れるのぞみの後ろ姿に注がれている・・・台詞としては何の説明もなかったが、希美とみぞれ二人の間の微妙な関係性、特にみぞれが希美に向ける感情がこの1シーンではっきりと説明されている。

 ここで驚かされた点が2つある。ひとつはカットの変化の多さと動きの細やかさだ。希美を前にしたみぞれの揺れ動く感情が、細かい動きのひとつひとつによって繊細に表現されている。アニメーションでは画面を動かせば動かすほど制作上の手間が増える。このシーンでは、普通そこまで動かすか?というようなところまで細かく画を動かしていて、彼女たちの感情の動きにリアリティを与えようとする非常なこだわりが伝わってきた。もう一つは音楽について。彼女たちの髪やスカートの裾が揺れるその動きと質感がリズムの中で繊細に表現される。我々の日々の生活は常に音楽に囲まれていて、意識の外に消えていく音もあれば本来ないはずでも聞こえてくる音もあるだろう。だから本作の音楽は単なるSEやBGMと呼ぶだけに留まらない独特のリアリティを生み出すように機能していて、まるで息遣いさえも聞こえてきそうなほどに彼女らの実在性を感じてしまうような演出がされている。この開始数分でこれはすごい作品だと、そう思わせてくれるようなシーンだった。ここまで繊細に美しく、非言語的な表現のみでキャラクターの感情を徹底的に描写できる作品はそうはないと思う。この後も全編に渡ってこのような姿勢が貫かれていることが本作の大きな特徴であり魅力といえるだろう。

 

作中童話「リズと青い鳥」と二人の受け止め方

 希美とみぞれは童話をもとに作られた楽曲「リズと青い鳥」をコンクールの自由曲として演奏することになる。童話の「リズと青い鳥」の内容は以下のようなものである。パン屋で働くリズは、街のはずれの家で一人慎ましく暮らしていた。そんな彼女のもとに青い服の少女が現れる。少女とリズはすぐに友達になり、孤独だったリズは少女と共に過ごす生活に癒される。しかしある時、リズは少女の正体が青い鳥であることを知ってしまう。そして最後は、リズは少女が自由であるべきだと願い、あえて少女を突き放すような形で二人は離れ離れになることになる…

 この物語を二人がそれぞれどう解釈してゆくかが本作最大のポイントになってゆくのだが、それについてはまた後でも述べるとして、まずは序盤の時点で二人がこの童話をどう受け止めたかを確認したい。希美はみぞれに対しこの童話が好きだ、童話中の二人(リズと少女)が私たち(希美とみぞれ)のようだと語る。ただし「物語はハッピーエンドがいい」「少女はリズと別れてもまた会いに来ればよかった」など、童話の結末については否定的に捉えている。一方みぞれは自分たちをリズと少女に結びつける希美の発言に対して複雑な反応をする。そしてそれを受けて「本番なんて一生来なくていい」とも考えている。

 

物語の最後に待つものの意味

 みぞれのいう「本番」とはコンクールの本番のことであるが、これは童話および楽曲の終わりであると同時に、希美の発言によって意識されるようになった希美とみぞれの二人の関係の終わりでもある。三年生である希美とみぞれにとって、コンクールでの演奏が吹奏楽部としての最後の活動になる。曲が終局へと向かってゆけば、その先にはリズと少女が経験したような離別が待っていることをみぞれは予感している。つまり、みぞれは「吹奏楽部での活動の終わり=希美との別れ」と認識しているとも読める。対して希美はどうだろうか。彼女は曲の終結に訪れる別れを、悲劇的なものにはしたくない、あるいは決定的な別れであるべきではないと考えている。童話の結末とそれに重なった部活動の終わりを、より重大なものと捉えていたのはみぞれの側だった。ここに希美とみぞれの関係の非対称な一端が表れている。

 さて童話において、リズは孤独な生活を送り、そこに少女がやってきて幸福をもたらす。この二人の関係は完全な対等というわけではなく、「与えるもの―受け取るもの」という一種の非対称を成している。これを希美とみぞれにあてはめるとすれば、口数が少なく人付き合いにも消極的なみぞれがリズの役であり、みぞれを吹奏楽の道へと誘い彼女のよき理解者となった希美が青い鳥の少女の役である、という構図が浮かぶだろう。故に、受け取る側であるみぞれは希美に対してはやや卑屈に振る舞い、全てを尽くしてでも希美の施しに応えようとする。みぞれの方が弱い立場である(と感じている)からこそ、みぞれは希美との関係を大事に思い、失いたくないと願うのである。対して与える側である希美にはみぞれほどにはっきりとした強い思いがない。序盤での二人の童話に対する受け止め方の差異を説明するならば以上のようになるだろう。敢えて言うならば不均衡な、歪んだ関係だとさえいってよい。ただし、これを簡単に「みぞれの一途さと希美の残酷さ」で片づけるだけでは終わらないのがこの作品である。

 

関係への楔―①剣崎後輩

 みぞれと同じオーボエ担当の一年生・剣崎梨々花後輩は、希美以外の他人にほとんど関心を示さないみぞれに対して積極的にコミュニケーションを図ろうとする人物として登場する。はじめは全く相手にされない剣崎後輩だったが健気にアプローチを続け、最後はみぞれの方からプールに誘ってもらえるまでになる。さて、彼女の物語上の役割とは何だろうか。それは一言でいえば、希美とみぞれという関係性への楔、というほかないだろう。孤独なみぞれと彼女に手を差し伸べる希美、そんな構図が崩れていくのが中盤以降の展開だといえる。

 希美はみぞれをあがた祭りに誘うとき、他に誘いたい人はいるかとみぞれに尋ねるが、みぞれは別にいない、と答える。恐らく彼女らの間でこうしたやりとりはずっと続けられてきたものだったのだろう。しかし、その後のシーンで同じように希美がみぞれをプールに誘うと、みぞれの方から誰か誘ったほうがいいかと尋ねてきて、動揺する希美。みぞれからすれば二人きりになるのを希美が嫌がるだろうと考えたからに過ぎないのかもしれないが、結果的に恐らく初めて、自分から他人を(剣崎を)遊びに誘うことになる。

 常に口数少なく、誰ともコミュニケーションを取ろうとしないみぞれ。希美が剣崎後輩と会話するシーン[3]で、みぞれのことを「変わってるところあるからなぁ」と評していることからも、希美がみぞれのことをそのように理解していると推測できる。これまでずっと、希美はみぞれの唯一の理解者であり、みぞれの拠り所になってやれる存在であるはずだった。希美自身もある程度自分の立場を自覚していたはずである。希美にしてみれば、「みぞれはずっと自分だけを見つめていてくれるはずだ」などと無意識にも感じていたとしても不思議ではない。しかし、そこに現れた剣崎後輩という存在は、休日に遊びに誘える程度にはみぞれが希美以外の他人と関係を築けることを証明してしまった。希美がみぞれにとってオンリーワンな存在ではなくなるという可能性を示してしまった。そうしたみぞれに対する希美の唯一的な立場は剣崎の登場とともに危うくなる。中学以来の、アンバランスだが特別な一対一の関係を築いてきた希美とみぞれの関係性が変化の時を迎えてゆく。

 

関係への楔―②進路

高3のみぞれは進路希望調査を白紙で提出し、担任から注意される。そんな時、新山先生から音大受験を勧められることになる。希美も進路について決めかねていたが、みぞれの音大受験の話を聞いて自分も同じ音大を受けると言い出す。それを聞いて希美も受けるなら私も、と喜ぶみぞれ。しかし希美とみぞれの二人のソロパートはなかなか噛み合わない。希美はそれとなく新山先生に音大受験について相談してみるも、みぞれほどには自分のフルートの技量を評価されていないことに気付き、傷つく。みぞれに対してもぎこちない態度しか取れなくなってしまう。「大好きのハグ」をみぞれから求められても、希美はそれに応じることができない。

 希美とみぞれの関係に穿たれる第二の楔とは、高校卒業が近づくにつれ誰もが人生の選択を迫られる「進路」の問題である。それは二人に卒業という形での別れが訪れる可能性をのみ意味するのではない。自分自身にどんな能力がありこれから何を為したいか、自分とはどんな人間なのかというそれまで曖昧なままでよかったはずの問題に否が応でも向き合わなければならなくなる。それは時に17,8歳が直面するにはあまりにも残酷な現実を見せることもあるだろう。

 最後の演奏シーンで希美はみぞれとの力量差をまざまざと見せつけられ、結局音大受験を諦め受験勉強に取り組む様子が描かれる。希美が音大にどれほど執着していたのかは分からないが、彼女が音楽に向ける情熱は本物だったと見るべきだろう。休日の早朝から登校して自主練するような生活は並大抵でない覚悟がなければ続けられないはずだ。しかし音楽に対してのひたむきさだけでは生きていけないという現実を、希美は徐々に突きつけられてゆくのである。彼女は思うがままに我が道を歩んでゆける人間ではなかった。一方のみぞれはその音楽の才能を羽ばたかせ鳥のようにどこまでも飛んでゆく。それを見上げるばかりの希美に生まれてくるであろう羨望、嫉妬の感情。ありふれた悩みには違いないが、彼女たちの関係を劇的に変えたのはまさにこの「進路」の問題なのである。

 

視点と配役の逆転

 本作では序盤以降基本的にみぞれの視点から物語が進んでゆく。しかしみぞれが剣崎後輩と親しくなり、音大受験の話が表面化してゆく中盤以降、今度は希美視点での心情描写が主になってくる。これは序盤で確認した「リズ」「青い鳥」の配役が逆転してゆくこととリンクしていると考えられる。

 終盤みぞれと新山先生が会話するシーンで、青い鳥の心情について考えてみるよう促されたみぞれは、別れを告げられた青い鳥がリズを思うからこそリズの元を離れていったのだと気付く。一方希美も優子や夏紀[4]との会話の中で、音大受験や一年生の頃の退部騒動でみぞれを振り回してきたことを責められる。そんな中で二人は童話における配役がいつの間にか逆転していたことを悟る。いまや、みぞれの才能に嫉妬しみぞれからの愛情を利用して彼女の才能を縛り付けている希美が「リズ」であり、希美を思うがあまり演奏で全力を出すことができないみぞれが「青い鳥」であると。みぞれは希美に対して遠慮した演奏をすることよりも、奏者として力強く彼女を飛び越えてみせることが本当に自らの愛の証明になると考え、結果として翌日の演奏で完膚なきまでに希美を叩きのめすことになる。

 同時並行で描かれていた童話の「リズと青い鳥」の物語において、観客は孤独なリズの視点から物語を追っていたはずだ。観客が感情移入するのは常に青い鳥の少女ではなくリズである。だからこそみぞれ視点の序盤を、自然とみぞれとリズを重ねながら観ることになる。つまり後半以降視点が希美に移ってゆくのは、今度は観客に希美にリズを重ねさせるための切り口であったといえる。

 みぞれ視点の物語が希美視点に移っていく過程において二人の内面は相対化されてゆく。はじめはみぞれを受け入れない悪役の印象すらあった希美の葛藤が描かれ、みぞれの異様ともいえる執着の強さも浮き彫りになる。二人の間にあるすれ違いの諸相を多面的に描くなかで、希美とみぞれのどちらかのあり方に価値を置いたりせず、二人のキャラクターのありのままを映し出そうとするきわめて誠実な描き方だといえるだろう。ここからは二人の内面についてどのようなことが描かれたか、そしてその本質を改めて詳しく考えたい。

 

part2では鎧塚みぞれさんについて詳しく語っています。

touseiryu.hatenablog.com

 

 

[1] アンバランスな人間関係のことを言いたいらしい。後述する

[2] 12月3日にBlu-ray/DVD版が発売される模様。筆者は予約済み。

[3] 剣崎後輩が抜き身のゆで卵を希美に渡し「味付いてておいしいです」と言い放つ話題になったシーン。例えばこのゆで卵については、もはや将来の可能性(=ヒナ)が殻を破って出てくることはないという、希美の才能がみぞれに追いついていないことの暗喩である、とする解釈も成り立つ。一見ほのぼのとしているが後の展開を知ると、希美のみぞれへの独占欲と剣崎の希美への悪意がどことなく伝わる場面である。

[4] 吉川優子と中川夏紀。希美やみぞれと同じ3年でそれぞれ部長と副部長。なかよし川。